最近セガレがよく本を読むようになってきた。オレも昔は本をよく読んでいたが、ここ数年は本を読むことはほとんどない。本どころか新聞さえも滅多に読まなくなっている。昨日ちょっと目にした新聞の天声人語で知った本を今久々に読んでみたいと思ってる。
天声人語
2008年05月11日(日曜日)付
『わたしの母さん』という児童小説がある。小学4年の主人公、高子は算数が得意で、学級委員をしている。気がかりが一つ。明るいけれど、少し変わった母親のことだ▼月初め、母さんは日めくり暦の一枚一枚に封筒をはりつけ、千円札を2枚ずつ入れていく。毎日、その2千円を財布に移して生活に充てるのだ。高子は「ひと月分を同じ袋に入れておけばいいのに」と思うが、母さんは大きな数の計算が嫌いらしい▼さらに、連絡のプリントにはフリガナをつけてと学校に頼んだりもする。あきれる娘はある日、母が生後間もない熱病で知的障害を負ったことを知る。父さんとは養護学校高等部の同級生だった▼作者の菊地澄子さん(73)は養護学校などで教えてきた。この作品も体験が元だ。突然の真実に立ちすくみながらも、母を理解し、優しく伸びてゆく少女。20年前の初版は児童福祉文化賞を受けたが、出版元の廃業で絶版になっていた。06年、東京の出版社、北水(ほくすい)が新装版で復活させた。高子のモデルはすでに母になっているという▼作中に「人間の賢さっていうのは、その人が持っているちからを、どう生かしているかっていうこと」とある。母さんがずっと頼りにしてきた元担任が訪れ、親の「学力」を疑う高子を諭す場だ。母は泣いて告白する▼本の帯には〈お母さん、生んでくれてありがとう!〉。この瞬間にも、色んな人生を背負った母親たちが持てる力を振り絞っているだろう。きょうの母の日、その人が目の前にいてもいなくても、同じことばを贈りたい。
オレは高子のお母さんのような人たちとかかわる仕事をしている。特に20代の若い人達が多い。彼女や彼らが将来こんな体験をするかもしれないと思うとなんとも言えない気持ちになる。今の世の中、普通に暮らしてると障がいを持っている人とかかわることなんてほとんどない。だけど、障がいがあったって特別な存在じゃない。みんな同じ。泣いて、笑って、仕事して、遊んで、恋をして...。
オレの職場のwebから
ノーマライゼーションをめざして
ハンディがあっても住みなれた地域で暮らしたい。
自分の夢を実現したい。
そんなあたり前のことがあたり前に実現できること。
誰もが人として尊重され、輝いて生きることのできる社会。
一人一人がそれぞれの人生の主人公になれること。
それがすてっぷの願いです。
− 1991年 すてっぷ発足理念より −