2012年05月20日

日中武術交流協会創立三十周年記念式典

(mixiにアップしたのと同じです)
もうずいぶん前のことになってしまったけど、アップしておきます。書きかけですが。

2012年2月19日。
ボクはこの日、あの場所で感じた思いを一生忘れずに練習を続けるだろう...。
日本で活躍する生粋の民間武術家が一堂に会した記念すべき日を。

去る2/19に、日中武術交流協会創立三十周年記念式典が東京蒲田で行われた。
ボクは記念「式典」と言うけれど、人によっては記念「パーティー」と言う人もいるし、会場に張り出されていた式次第には記念「大会」と書かれていた。このあたり、おおらかというか、臨機応変というか、うちの協会らしさというか、中国らしさを感じるところである。

10年前に20周年記念をやはり蒲田で行ったが、今回の30周年記念はそれを遙かに上回る規模のモノとなった。その時はボクが実行委員長でいろいろしきってやったけど、あまりにも大変だったので、10年後の30周年は後輩に任せるぜ!と宣言していた。今回は一番頑張ってくれたのは池袋支部のキヨミヤくん。ボクは今回はスーパーバイザー的な立場で実務に関してはそれほどは係わらなかった。後は各支部長がそれぞれのメンバーをうまく使って頑張ってくれた。(ちなみにキヨミヤくんは「シュート」の大島司のダンナ。嫁さんが武術漫画を描くってことで、ネタ探しのためにうちの池袋支部に派遣された。武術漫画の企画はポシャったけど、本人は通背拳にハマって今に至る。何が縁になるかわからないね。)

自分らで主催した会のことを自分でほめるのも恥ずかしい気もするけど、本当に良い会になった。
それは本当にたくさんの素晴らしい民間武術家の先生方が我が協会と我が師のお祝いに来てくれたからだ。
本当に良い人達がたくさん集まってくれた。
当初はあそこまで外部の人を招待する予定ではなかった。
会長常松の方から知り合いの先生方に声をかけてあって、あとは「新井さん、好きな人、何人か呼んでいいよ」と言われていた。
会長としてはボクが声をかけるのは、2〜3人くらいのつもりだったのかもしれない。
でも、せっかくの機会。たくさんの人に来てもらって楽しい会にしよう!と思って、ボクが演武を見たい人を中心に面識のある先生方に声をかけさせてもらった。
声をかけるにあたって、ボクの中にはある思いがあった。
今回の演武はいつかの武藝の対談(『武藝(BABジャパン)』2001年夏号、2002年春号「ニッポン武林朋友会談 僕たちが中国武術に魅せられた理由」)の続編的なモノにしたいと密かに考えていたのだった。あの時集まった人と、来て欲しかったけど来られなかった人、来て欲しかったけど呼べなかった人も含めて人選した。
あの時は日本にいる若手の民間武術家の中から大陸系、台湾系、北派、南派の様々なカテゴリーから実戦的と言われる有名門派をピックアップしたかった。その全てにコネがあったわけではなかったので全部を集めることはできなかったけれど、あの当時活躍していた活きの良い錚々たるメンバーを集めることができたと自負している。
今回は残念ながら、田中先生、伊与久先生、安田先生(あの時は遠いからお誘いを遠慮した)は、都合がつかず来られなかったけど、佐藤先生(あの時体調不良だった)、徳永先生(あの時は遠いからお誘いを遠慮した)、片桐先生(あの時都合がつかず)、青木先生(あの時は連絡先不明)、阿形先生、江沢先生、後藤秀幸先生、平賀先生、市橋先生等々、たくさんの方々に来てもらえた。さらに後藤英二先生、根本先生、森田先生、藤松先生、服部先生という日本の中国武術界の重鎮的存在の先生方にも出席して頂けた。会長と仲の良い楊進先生、李徳芳先生、劉品正先生、劉湘穂先生等々にも出席頂いて、本当にスゴイ面子が集まった。
日本の生粋の民間武術家ここに集う!みたいな!
(長春八極の李英先生も会長の招待で出席予定でしたが、仕事の関係で都合がつかなくなり、とても残念でした)
式は会長挨拶から始まり、その後来賓祝辞。楊進先生からは日本における中国武術界の発展に会長が与えた影響などのお話しを頂き、その後に会長を世に紹介した元毎日新聞の園木宏志様から、当時のエピソードを交えたご挨拶を頂けた。
そしていよいよ演武。
今回の演武は2部構成。1部は協会メンバーによる通背拳を中心とした演武。2部は来賓の先生方を中心とした演武。はっきり言ってこれだけの演武が見られる機会は滅多にないだろう。一昨年の根本先生の日本老螳螂拳研究会結社20周年記念交流会の表演会に匹敵する演武と言える。
演目は以下の通り
演武一(敬称略)
通背拳 三十六手   奥山 仰      自由ヶ岡支部   
通背拳 猿猴出洞   クリス ロスコー  自由ヶ岡支部   
五行連環剣      近藤定夫      新宿本部     
太極棒        伊藤 清      新宿本部     
通背判官筆      新井 亘      群馬支部     
通背拳        近藤定夫      新宿本部     
陳式太極刀      江沢一雅      西部学園文理高等学校
居合道        鈴木英治      船橋支部    
秘宗剣        呂 玉清      大連分会芸龍武館
通背棍        劉 治清      大連分会芸龍武館

呂さんと劉さんは会長の徒弟だが、会長が日本に帰国した後に徒弟になった。それまでは同系統の他の老師から学んでいた人達だ。

演武二(敬称略)
散打         孫楊、木澤良文   日本散手友好協会
孫式太極拳      河内香子      船橋支部
八卦掌定式八掌    石田浩士      新宿本部
秘宗拳 小護掩    新井 亘      群馬支部
宗氏心意拳      高崎        虎鷹拳院
太極螳螂拳 摘要一段 岡田晃之      日本老螳螂拳研究会
呉氏開門八極拳 扶手 服部哲也、須原和彦 開門拳社 
迷蹤藝        佐藤良政      念塵武学研究社
五霊太極拳      徳永滴水      中国武術伝修会拳親館
 九星連環式〜八閃     
長護心意門拳     川口 賢      日本少林拳同盟会
六合螳螂拳 葉底藏花 片桐 陽      日本雲游拳房
心意六合拳      藤松英一      虎鷹拳院
八極拳 小架式    森田 真      八極拳研究会
太極螳螂拳 摘要二段 根本一己      日本老螳螂拳研究会
形意拳 雑式捶    後藤英二      日本孫氏太極拳研究会

来賓の先生方の演武はどれも本当に素晴らしいものばかりで、あの場に居合わせた人は本当に運が良かったと思う。
今の日本で公式に行われる中国武術の大会ではまず見られない演目と演武者である。
大会で高い点数を取ることや、試合の勝ち負けを目的に練習されているものではなく、それぞれの門派に伝承されてきた技術をそれぞれの理念・信念に基づいて真摯に練習されているありのままの民間武術である。
競技形式の大会のことを悪く言うつもりはない。武術には様々な要素があり、練習する人がそれぞれの嗜好で目的にあった練習すればいいものだと思ってる。もちろんそれに優劣はない。
でも、数で言ったら圧倒的に競技形式の武術を練習する人の方が多いだろう。しかし、伝統の民間武術をしっかり伝える人々が少なからずいるということもたくさんの人に知って欲しいと思っている。ボクは民間派なもので。
会長が直接招待した先生方の中には演武のお願いをしていなかった先生方がいたのが少々心残りだった。楊先生、李先生、劉先生。そして佐藤聖二先生の代理の青木先生。青木先生は太気拳・意拳だから套路はないんだけど、以前交流させてもらった時にボクシングで言うシャドーボクシング的なアドリブの型とでもいうようなモノを見せてもらったことがある。八卦掌にも変拳という自由に技を繰り出す練習があると聞くし、会長も時々アドリブ的な套路をすることがある。青木先生のそれも見せてもらいたかったなと思った。
今回ボクは通背判官筆と秘宗小護掩をさせてもらった。判官筆の方は会長に「判官筆を表演させてください!」と自ら申し出た。随分前に套路を習いっぱなしで、それほど練習をしていたわけではなかったけど、この節目にやっておきたかった。式典の前、半年くらいは結構集中的に練習したつもりだったけど、まだまだまだまだまだ・・・だった....。
ボクは判官筆自体は3組持っている。一つはBABからビデオとセットで販売していた寸鉄。もう一つは片桐先生の知り合いの天津の武術家が持っている判官筆をモデルに中国で特注されたモノで、会長の判官筆とよく似ている。もう一つはボクのために作られた特別な判官筆。これは町田支部に張安福師兄(会長の師伯の徒弟)が滞在していた時に張師兄指示の元、大連から来ていた研修生が作ってくれたモノ。この判官筆作成には裏話がある。町田支部の支部長である面矢師兄は鉄工所の社長をしていた。その鉄工所へ研修生として来た大連の方と張師兄と面矢師兄は判官筆を作る計画を立てていた。しかし、何らかの事情で急遽その研修生は帰国しなければならなくなった。それもかなり急な話しだったようで、話しを聞いた翌週には帰国しなければならなかったようだ。最後の週末は少しでも観光や買い物をしたいのが普通の感情だと思うが、その人は社長との約束だからと言って、前から話しのあった判官筆を最後の土日で作ってくれたというのだ。そしてそのうちの一組はボクのものだった。結局ボクは判官筆を作ってくれたその研修生とは会うことができなかったが、その人の気持ちのこもった判官筆はボクの手許にやってきた。(研修生の話はうろ覚えだけど、大筋はそんな感じのはず)
張師兄の持つ判官筆をベースに作られたそれは武闘派の面矢師兄の嗜好を取り入れ、充分に武器として使えるモノに仕上がっていた。特筆すべきは尖端。超〜鋭利!針のように尖ってる!下手したら自分をやっちまいそうで、練習するのが怖いくらい!なので記念式典の演武では安全な天津版を使おうと思っていた。しかし、やはりたくさんの良き人の思いがこもった判官筆で演武したくなり、前日に尖端をやすりがけして本番に臨むことにした。
当日の演武は速度抑えめにして正確な形でやるか、多少形は崩れても勢いのある演武で行こうか迷ったが、勢いを大切に行くことに決めた。そんなに長いものではないので、起勢から一気に行って、最後の転身を終えて、どうにか大丈夫そうだなと少し気が緩んだのか、右穿で左の袖に尖端を引っかけて袖をビリッとやってしまい、一瞬動きが止まってしまった。はぁ...。
小護掩は今回秘宗拳を演武する生徒がいなかったので、会長からのリクエストだった。小護掩なら普段から練習してるし、と気軽に考えていたけど、やっぱり途中で「あれ?」って思って流れが途切れたところがあった。はぁ...。日々の練習は正直だ。頑張ろう。

続く
...かもしれない。来賓の先生方の演武の感想を書くつもりなんで。

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posted by わたる at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日中武術交流協会