2009年03月15日

支那武術由来記(二)

支那武術は現在ではこれを『國術』と称することになつてゐる。一体支那武術は何時の頃かららあつたのであらうか。詩経の小雅に「無拳無勇、職為乱階」とあり、また、春秋の*公廿八年に「晋侠夢和楚子傳」とある。 相当太古より存在したらしいことが想像される。支那人は何事に限らず古いこととそして自國のものと云ふことに誇りを感ずるのであるが、武術に於てもその通りで、彼等の説に拠ると武術は黄帝の創案に係るもので、蚩尤と戦つた時には武術に長けてゐたが故に黄帝軍が勝利を得たのだと傳ふ。然し兵器は或は然らん、拳法はさて如何?恐らくは今日の如き形を整へたのは正しく後漢以後にあらう。しかも流派を称するに至つたのは六朝頃より始つたものであらう。以下現代の武術について述ぺてみよう。
 國術ーー
國術とは我民族固有の技能で一代一代と相傳し来りしところの一種の武藝の意味に外ならない。若し学術*科について論ずるならば一國には一國の文学即國学があると同様に、一國には一國の武術即國術があるべきである。かうした観点より民國十六年以来我等は國術の名称を訂定したのである。(中央國術館周刊第一〇八期)
 我等はここで注意しなけれぱならないのは、かくの如くして「國術」を提唱しつつあつても其実支那武術は従来の「武術」と云ふ観念よりは少しく違つたものとなつてきたことである。國術指導者たちは一斉に次のやうに云つてゐるー
(一)國術は手眼身歩を鍛錬の本体となすを以て百肢百体は協同の動作となる。従つて、一肢体に偏すと云ふ病弊なし
(二)國術は生理学に適合したるものなるを以て神気の増進と血脈の調和を来す。従て百利ありて一害なし
(三)國術は経済的束縛を受くることなきを以て貧富を間はず老幼男女を分たずしかも相手と場所を選ぶことなく練習し得
(四)國術は体用兼備なるを以て強身強種たり得しかも白兵格闘の用に亦役立つ
(五)國術は一種の優美なる鍛錬なるを以て能く*深なるを得ぱ風虎雲龍の変化自在にして体育上興味と美感とを増加す
 此くの如くして彼等は武術と云ふよりは主として体育としてのものに価値と重点とを置いたのである。否、体育化に努力しだしたのだと云ふぺぎであらう。そして他面に於ては斯うした機運を乙醸成させることによつて武術家の所謂「門戸の見」を消算せしむると共に雲霞の如く数多き諸流派を集大成し茲に新たなる形を造成しよう、云はば武術の統一運動を促進しようと志したのであつた。
 ところが、第一にこの体育化提唱に絶対反対の烽火が挙がつた。また、反統一運動が洪水の如き勢をもつて蔓延しだした。かかる混沌たる間に支那事変は勃発したのである。
 だが、我等が銘記すべきは此等諸説を貫いて其底を流れつつあつた理念は唯だ一つであつたと云うことである。基本的理念は次の如くに思はれた−−−
「強國は強種より、そして強種は強身より!だ。支那の欠点は科学文明に起ち遅れてゐる事であるが、それにもまして其欠点は”東亜病父”と綽名さるる程に國民の体格が弱いことにある。孫中山は我等に遺言された、和平、奮闘、救中國!と。我等は何がために奮闘しなければならぬか?それは和平のためだ。如何にせば和平が得らるるか?それは奮闘によるのみだ。然らば我等は何に*つて奮闘するのか。それは國術を研錬するより以外に途はない」

※誤字や脱字と思われるところもありますが、原文通りに打ちました。
旧漢字は変換できたものはそのまま、探すのが難しかったのは今の漢字で打ちました。
posted by わたる at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 民間武術
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