おはよう!
はっきりしない天気。
でも、今日も一日笑顔で頑張ろう!
2011年05月12日
2011年05月11日
新しい利用者
今日から新しい利用者さんが健科大に入った。
一昨年健科大の学食、購買の委託運営を始めてから、一人事情があって異動した以外はずっと同じメンバーでやってきたので、初めての新メンバー。
20代前半の可愛らしい女性。自宅からバスで通勤してくる。初出勤の今日はあいにくの雨。
何度か実習には来ていたが、その時は前に働いていた事業所のスタッフの送迎だったので、今朝はバス停まで迎えに出た。10分位バスが遅れて心配したが、無事到着。
心配でおばあちゃんが今日は一緒に乗っていた。
彼女はオレを見つけると「新井さん、おはようございます!」と元気に挨拶した。
やさしそうなおばあちゃんに見送られながら、彼女は傘をさしてさっそうと校門をくぐって行った。
おばあちゃんはオレに「よろしくお願いします」と言うと帰りのバス停に向かって行った。
学食厨房での作業。今日は洗い物と購買で販売するおにぎり作りをした。
思ったよりよく出来たところもあれば、そうでないところも当然あった。
でもまだ、始まったばかり。これからが楽しみだ。
帰りのバス停まで一緒に歩いて行った。今日はどうでしたか?と聞くと「頑張りました!」と彼女。「そうだね!頑張ったね。明日も頑張ろうね!」と声をかけ、バス停で別れた。
おばあちゃんに彼女の仕事ぶりを見て行ってもらえばよかったなと彼女と別れてから思った。
一昨年健科大の学食、購買の委託運営を始めてから、一人事情があって異動した以外はずっと同じメンバーでやってきたので、初めての新メンバー。
20代前半の可愛らしい女性。自宅からバスで通勤してくる。初出勤の今日はあいにくの雨。
何度か実習には来ていたが、その時は前に働いていた事業所のスタッフの送迎だったので、今朝はバス停まで迎えに出た。10分位バスが遅れて心配したが、無事到着。
心配でおばあちゃんが今日は一緒に乗っていた。
彼女はオレを見つけると「新井さん、おはようございます!」と元気に挨拶した。
やさしそうなおばあちゃんに見送られながら、彼女は傘をさしてさっそうと校門をくぐって行った。
おばあちゃんはオレに「よろしくお願いします」と言うと帰りのバス停に向かって行った。
学食厨房での作業。今日は洗い物と購買で販売するおにぎり作りをした。
思ったよりよく出来たところもあれば、そうでないところも当然あった。
でもまだ、始まったばかり。これからが楽しみだ。
帰りのバス停まで一緒に歩いて行った。今日はどうでしたか?と聞くと「頑張りました!」と彼女。「そうだね!頑張ったね。明日も頑張ろうね!」と声をかけ、バス停で別れた。
おばあちゃんに彼女の仕事ぶりを見て行ってもらえばよかったなと彼女と別れてから思った。
2011年05月10日
実習希望者面接
今日は高等養護学校からの実習希望者と面接をした。
毎年、実習生を受け入れているが、今年は例年になくうちでの実習を希望する生徒が多い。
5月後半から6週連続で6人が希望。作業は清掃、学食、メール便。
去年より希望者が多い理由をオレは昨年の実習で良い支援をうちのスタッフがしたから、それが口コミで広がったことと、進路情報交換会にオレが出席して良い話しをしたからだと思ってて、スタッフにもそう言ったら「新井さんはポジティブ過ぎる」と言われた。
でも、実際昨年の実習ではTEACCHプログラムを駆使して自閉症の実習生を一週間でスゴク伸ばすことができて、担任の先生もえらく感動していたし、進路情報交換会でのオレの話しを「さすがすてっぷは違う!」とほめてくれたお母さんもいると聞く。自画自賛で見苦しいかもしれないけど、本当のことだから仕方がない。
実習の受け入れはまず日程的に大丈夫かどうかを確認し、その後希望する生徒が希望する作業をできるかどうかを面接で判断する。学食を希望しているのに衛生面がしっかりできていなければ、実習は不可能。清掃を希望しているのに数時間の作業をする体力がなければやはり不可能。今日の生徒は県女での清掃希望の男子学生とヤマト運輸でのメール便振り分け作業を希望する女子高生の二人。男子学生はシャイだが、スポーツ好きの身体のしっかりした真面目なタイプ。女子学生は明るくてハキハキした女の子。生徒会長をしているとか。二人とも面接の結果、実習は可能と判断、そう伝えると嬉しそうにしていた。
女子学生のほうは望めば専門学校にも行けそうな気がしたので、卒業後の進路はどうしたいかをたずねてみた。すると「最初は大学や専門学校に行きたいと思っていましたが、それだと就職するのが難しいので働くことに決めました。」と答えてくれた。母が補足で養護学校からの就職は進路の先生が障がいのことを理解して、就労支援をしてくれるが、専門学校だと一般の生徒と同じ扱いしかくれないため、就職ができないと。そんな時は障がい者就労・生活支援センターを利用すると良いですよ、とアドバイスした。学校の進路指導の先生はそんなことも言ってくれないのだろうか?
毎年、実習生を受け入れているが、今年は例年になくうちでの実習を希望する生徒が多い。
5月後半から6週連続で6人が希望。作業は清掃、学食、メール便。
去年より希望者が多い理由をオレは昨年の実習で良い支援をうちのスタッフがしたから、それが口コミで広がったことと、進路情報交換会にオレが出席して良い話しをしたからだと思ってて、スタッフにもそう言ったら「新井さんはポジティブ過ぎる」と言われた。
でも、実際昨年の実習ではTEACCHプログラムを駆使して自閉症の実習生を一週間でスゴク伸ばすことができて、担任の先生もえらく感動していたし、進路情報交換会でのオレの話しを「さすがすてっぷは違う!」とほめてくれたお母さんもいると聞く。自画自賛で見苦しいかもしれないけど、本当のことだから仕方がない。
実習の受け入れはまず日程的に大丈夫かどうかを確認し、その後希望する生徒が希望する作業をできるかどうかを面接で判断する。学食を希望しているのに衛生面がしっかりできていなければ、実習は不可能。清掃を希望しているのに数時間の作業をする体力がなければやはり不可能。今日の生徒は県女での清掃希望の男子学生とヤマト運輸でのメール便振り分け作業を希望する女子高生の二人。男子学生はシャイだが、スポーツ好きの身体のしっかりした真面目なタイプ。女子学生は明るくてハキハキした女の子。生徒会長をしているとか。二人とも面接の結果、実習は可能と判断、そう伝えると嬉しそうにしていた。
女子学生のほうは望めば専門学校にも行けそうな気がしたので、卒業後の進路はどうしたいかをたずねてみた。すると「最初は大学や専門学校に行きたいと思っていましたが、それだと就職するのが難しいので働くことに決めました。」と答えてくれた。母が補足で養護学校からの就職は進路の先生が障がいのことを理解して、就労支援をしてくれるが、専門学校だと一般の生徒と同じ扱いしかくれないため、就職ができないと。そんな時は障がい者就労・生活支援センターを利用すると良いですよ、とアドバイスした。学校の進路指導の先生はそんなことも言ってくれないのだろうか?
5月、6月練習予定
5月練習予定
08日(日)浜川公園芝生広場 9時〜
15日(日)浜川公園芝生広場 9時〜
21日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
29日(日)浜川公園芝生広場 9時〜(変更!)
6月練習予定
04日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
11日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
18日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
25日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
見学、一日体験随時受け付けています。
お気軽にどうぞ。
*雨天の時は場所が変わります。
08日(日)浜川公園芝生広場 9時〜
15日(日)浜川公園芝生広場 9時〜
21日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
29日(日)浜川公園芝生広場 9時〜(変更!)
6月練習予定
04日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
11日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
18日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
25日(土)浜川公園芝生広場 9時〜
見学、一日体験随時受け付けています。
お気軽にどうぞ。
*雨天の時は場所が変わります。
2011年05月09日
今日の出来事 5/9
朝、涙が出そうなほど心がふるえる出来事があった。
短い時間だったけど、相手の気持ちがよくわかった。
でも、オレはうまく話すことはできなかった。同じことばかり言っていたかも。
願いは叶うと信じている。信じているだけじゃもちろんダメだろうけど、
まず信じないことには叶うものも叶わない。
強く信じて自分が今できることをする。決してあきらめずに。
直ぐに叶わなくてもいい。いつか叶う時がきっと来る。
そう信じてそれぞれの役目をしっかり果たそう!
今週末、中学の同窓会がある。すごく楽しみにしている。
今日、同窓会に来る予定だったけど、急な都合で欠席になってしまった先生から電話がかかってきた。オレの体育の先生。「楽しみにしていたけど、申し訳ない。みんなによろしく伝えて欲しい。中学の時にみんなが書いた文章があるので、それを持って行こうと思っていたが、次の機会にとっておく。」と。オレ達が卒業してから30年経っている。先生は30年、大切にそれをとっておいてくれていた。オレの担任の先生ではなかったので、オレの文章はないと思うけど、そんなの関係ない。先生ってスゴイ。
やはり、都合がつかず今回来られない先生がいる。オレの担任だった先生。
連絡はオレがした。電話をして「新井亘と申しますが..」と言っただけで、オレであるとわかってくれた。何年卒業の何中の、と言う前に。名前だけで。その先生は去年定年退職している。それまでに何人の生徒を受け持ったのか?何百人?もしかしたら何千人?それなのに名前だけでわかる先生ってスゴイ。
話しはもどるが、体育の先生(今は校長先生)の学校にオレ等の同級生が訪ねていって、彼女が同窓会のことを知らなかったので、オレに連絡をしてくれないか?と言うのがその先生の用件だった。彼女は実家に連絡をしたが連絡がつかなったのだ。30年も経ってるとそんな感じで連絡のとれない友達が多い。でも、昔は想像もできなかった方法で連絡がとれたりもする。mixiやFacebookだ。元々この同窓会が実現したのもオレと水無月がmixiで再会したから。小中の同級生だったけど、そんなに話しをした覚えもない間柄。水無月がオレに声をかけなかったら、たぶんこの同窓会はなかった。だから水無月には感謝している。
で、先生から教えてもらった同級生に電話をしてみた。不在だったので名前と携帯を伝言した。敢えて中学の同級生とは言わなかったが、新井亘と言えば絶対わかると思った。夕方、彼女から電話がかかってきた。そしたら、なんとオレのことがわからないだとぉ!卒業アルバムを見ればわかると思うとか、ちょっとがっかり。まぁ、確かに彼女ともそんなに話しはしなかったけどさ。でもそれはないだろ?○山よ。電話後半では、あ、思い出したかも〜とか言ってたが、本当か?
短い時間だったけど、相手の気持ちがよくわかった。
でも、オレはうまく話すことはできなかった。同じことばかり言っていたかも。
願いは叶うと信じている。信じているだけじゃもちろんダメだろうけど、
まず信じないことには叶うものも叶わない。
強く信じて自分が今できることをする。決してあきらめずに。
直ぐに叶わなくてもいい。いつか叶う時がきっと来る。
そう信じてそれぞれの役目をしっかり果たそう!
今週末、中学の同窓会がある。すごく楽しみにしている。
今日、同窓会に来る予定だったけど、急な都合で欠席になってしまった先生から電話がかかってきた。オレの体育の先生。「楽しみにしていたけど、申し訳ない。みんなによろしく伝えて欲しい。中学の時にみんなが書いた文章があるので、それを持って行こうと思っていたが、次の機会にとっておく。」と。オレ達が卒業してから30年経っている。先生は30年、大切にそれをとっておいてくれていた。オレの担任の先生ではなかったので、オレの文章はないと思うけど、そんなの関係ない。先生ってスゴイ。
やはり、都合がつかず今回来られない先生がいる。オレの担任だった先生。
連絡はオレがした。電話をして「新井亘と申しますが..」と言っただけで、オレであるとわかってくれた。何年卒業の何中の、と言う前に。名前だけで。その先生は去年定年退職している。それまでに何人の生徒を受け持ったのか?何百人?もしかしたら何千人?それなのに名前だけでわかる先生ってスゴイ。
話しはもどるが、体育の先生(今は校長先生)の学校にオレ等の同級生が訪ねていって、彼女が同窓会のことを知らなかったので、オレに連絡をしてくれないか?と言うのがその先生の用件だった。彼女は実家に連絡をしたが連絡がつかなったのだ。30年も経ってるとそんな感じで連絡のとれない友達が多い。でも、昔は想像もできなかった方法で連絡がとれたりもする。mixiやFacebookだ。元々この同窓会が実現したのもオレと水無月がmixiで再会したから。小中の同級生だったけど、そんなに話しをした覚えもない間柄。水無月がオレに声をかけなかったら、たぶんこの同窓会はなかった。だから水無月には感謝している。
で、先生から教えてもらった同級生に電話をしてみた。不在だったので名前と携帯を伝言した。敢えて中学の同級生とは言わなかったが、新井亘と言えば絶対わかると思った。夕方、彼女から電話がかかってきた。そしたら、なんとオレのことがわからないだとぉ!卒業アルバムを見ればわかると思うとか、ちょっとがっかり。まぁ、確かに彼女ともそんなに話しはしなかったけどさ。でもそれはないだろ?○山よ。電話後半では、あ、思い出したかも〜とか言ってたが、本当か?
2011年05月08日
武術を学ぶ、練習する意味
始めたきっかけはなんだか面白そうだったから。かっこよさそうだし、強くなれそうだし。
当時好きなコもいたから、そのコを守れるようになりたいなとも思った。
それから30年。辞めてしまおうかなと思ったこともあるけど、まだ練習を続けている。
新しいことを覚えるのが面白かった時もあれば、自分が上手くなるのがわかって面白かった時もある。練習を重ねることで先生の言ってた意味が体感できた時の「これか!」ってのは自分の練習が間違っていなかったって自信にもなるし、気持ちも盛り上がる。
でも、30年やってるともちろんそんな良い時ばかりじゃない。気持ちが乗らなくてただやってるだけの時もあれば、しばらく何もしなかったこともある。それでもまたやりたくなって練習する。
武術を練習することは何かの役に立つのか?人にそう聞かれることもたまにある。
あまりそんなことを考えずに練習しているので、ちょっと困ったりもする。
何も練習していない同世代の人よりはそこそこ健康で身体も動く。これは役に立ってると言える。
でも、実際に武術として日常生活で使ったことはない(戦いとして使ったことはない)。
でも、何かの時には「やるぜ!」って心構えはある。これは練習しているから持てるものだ。
この心構えの部分はいろいろな場面で役に立ってる。
実際に人と戦う場面じゃなくてもね。
生きていく上でとてもイヤなことやツライことがあった時、武術を練習していることが自分の助けになってくれたことが何度かあった。(気楽に生きてるオレなのでそんなことはそんなにはないけど、たまにはあるのです)
イヤなこと、ツライことに直接武術が役に立つわけじゃないけど、くじけそうになる自分を支えてくれる。「やるぜ!」って気持ちにしてくれる。そんな感じ。
(もちろんそんな時は武術だけに助けられてるわけじゃなくて、信頼できる友人や先輩、後輩とかいろいろな人から助けられてる。)
今日はこれから練習。
天気も良くなりそうだし、良い練習ができそうだ。
当時好きなコもいたから、そのコを守れるようになりたいなとも思った。
それから30年。辞めてしまおうかなと思ったこともあるけど、まだ練習を続けている。
新しいことを覚えるのが面白かった時もあれば、自分が上手くなるのがわかって面白かった時もある。練習を重ねることで先生の言ってた意味が体感できた時の「これか!」ってのは自分の練習が間違っていなかったって自信にもなるし、気持ちも盛り上がる。
でも、30年やってるともちろんそんな良い時ばかりじゃない。気持ちが乗らなくてただやってるだけの時もあれば、しばらく何もしなかったこともある。それでもまたやりたくなって練習する。
武術を練習することは何かの役に立つのか?人にそう聞かれることもたまにある。
あまりそんなことを考えずに練習しているので、ちょっと困ったりもする。
何も練習していない同世代の人よりはそこそこ健康で身体も動く。これは役に立ってると言える。
でも、実際に武術として日常生活で使ったことはない(戦いとして使ったことはない)。
でも、何かの時には「やるぜ!」って心構えはある。これは練習しているから持てるものだ。
この心構えの部分はいろいろな場面で役に立ってる。
実際に人と戦う場面じゃなくてもね。
生きていく上でとてもイヤなことやツライことがあった時、武術を練習していることが自分の助けになってくれたことが何度かあった。(気楽に生きてるオレなのでそんなことはそんなにはないけど、たまにはあるのです)
イヤなこと、ツライことに直接武術が役に立つわけじゃないけど、くじけそうになる自分を支えてくれる。「やるぜ!」って気持ちにしてくれる。そんな感じ。
(もちろんそんな時は武術だけに助けられてるわけじゃなくて、信頼できる友人や先輩、後輩とかいろいろな人から助けられてる。)
今日はこれから練習。
天気も良くなりそうだし、良い練習ができそうだ。
2011年05月03日
30周年記念誌あとがき
来年、オレの所属する日中武術交流協会が設立30周年を迎える。
記念式典も企画されているがそれに合わせて記念誌を作成している。
あとがきを書くように言われたが、なかなか良い文章が浮かばない。
20周年の時も記念誌を作って、そのあとがき↓も書いた。
−−−−−
今、日本で中国武術を練習している事情通の人に「通背拳の第一人者は?」と問えば、おそらくほとんどの人が「常松勝」の名をあげるだろう。それくらいに通背拳=常松先生のイメージがこの国では浸透している。
意外に思われる方もいるかもしれないが、日本と通背拳は昔から縁がある。
まだ中国武術自体が物珍しい大正から昭和初期にかけて、日本人と通背拳は出会っている。
我々の大先輩、武田熈先生が北京で通背拳を学び、中国語で「通背拳法」の書を著したのが1936年。常松先生が生まれる前の話しである。この「通背拳法」は名著と言われながらも
長らく翻訳されずに来たが、1998年、常松門下の清水宏一氏の手によって翻訳、自費出版され、日本各地の図書館に寄贈された。(この本には、武田熈先生ご自身による日本語版序文が掲載されている)人の縁を感じずにはいられない。
常松先生が帰国した1978年頃、日本で通背拳を知る人はほとんどいなかった。
先生が通背拳を修得していることを知った有志が集い、教えを請い、練習を始め、1982年に日中武術交流協会が誕生した。そして20年。先生や会員の様々な活動により、縁が拡がった。それは日本国内に留まらず、中国各地にまで及んでいる。
常松先生がこれまでに通背拳を教えた人は、おそらく数百人という数に達するだろう。
その全ての人が現在も練習を続けているわけではないが、この本を手にすることができた我々は、常松先生が授けてくれた通背拳を今練習している。この先この通背拳を一生の宝物にするか、ただの若い頃の思い出にしてしまうかは、各自の肩にかかっている。
武術に対する取り組み方はひとそれぞれだとは思うが、祁太昌先師以来、脈々と受け継がれてきたこの素晴らしい通背拳を正しく体得し、次世代へと正しく伝えて行って欲しいと願っている。
−−−−−
あれから10年。どんなことを書こうか。
記念式典も企画されているがそれに合わせて記念誌を作成している。
あとがきを書くように言われたが、なかなか良い文章が浮かばない。
20周年の時も記念誌を作って、そのあとがき↓も書いた。
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今、日本で中国武術を練習している事情通の人に「通背拳の第一人者は?」と問えば、おそらくほとんどの人が「常松勝」の名をあげるだろう。それくらいに通背拳=常松先生のイメージがこの国では浸透している。
意外に思われる方もいるかもしれないが、日本と通背拳は昔から縁がある。
まだ中国武術自体が物珍しい大正から昭和初期にかけて、日本人と通背拳は出会っている。
我々の大先輩、武田熈先生が北京で通背拳を学び、中国語で「通背拳法」の書を著したのが1936年。常松先生が生まれる前の話しである。この「通背拳法」は名著と言われながらも
長らく翻訳されずに来たが、1998年、常松門下の清水宏一氏の手によって翻訳、自費出版され、日本各地の図書館に寄贈された。(この本には、武田熈先生ご自身による日本語版序文が掲載されている)人の縁を感じずにはいられない。
常松先生が帰国した1978年頃、日本で通背拳を知る人はほとんどいなかった。
先生が通背拳を修得していることを知った有志が集い、教えを請い、練習を始め、1982年に日中武術交流協会が誕生した。そして20年。先生や会員の様々な活動により、縁が拡がった。それは日本国内に留まらず、中国各地にまで及んでいる。
常松先生がこれまでに通背拳を教えた人は、おそらく数百人という数に達するだろう。
その全ての人が現在も練習を続けているわけではないが、この本を手にすることができた我々は、常松先生が授けてくれた通背拳を今練習している。この先この通背拳を一生の宝物にするか、ただの若い頃の思い出にしてしまうかは、各自の肩にかかっている。
武術に対する取り組み方はひとそれぞれだとは思うが、祁太昌先師以来、脈々と受け継がれてきたこの素晴らしい通背拳を正しく体得し、次世代へと正しく伝えて行って欲しいと願っている。
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あれから10年。どんなことを書こうか。
2011年03月06日
練習日記群馬支部2011.03.05
練習日記群馬支部2011.03.05 09:00〜11:00浜川運動公園芝生広場
参加者 繁田、川村、加治
良い天気だが寒い。霜柱なんてあったりする。風もある。陽の当たる面は暖かいけど、裏面は寒い。でも、暖かくなったよなぁと言える日。
通背拳(「うちの通背拳は」かも)は実用本位なせいか虚歩を多用し、普段の練習で馬歩、弓歩などの出てくる頻度が少ない。なのでまるっきりの初心者だったりするとその辺の功夫が不足する。で、今日はその強化をしようと思い立つ(その場で)。
初心者には五歩拳から教えるが、そこそこ出来れば秘宗拳の小護掩(←ホントは「護」も手偏)を練習してもらう。そこそこ長く、突きも代表的なのが数種類、蹴りも旋風脚、二起脚、掃腿なども入ってこれができると一般的な長拳系のもろもろが身につく。今日は起勢から一動作ずつ行い、固若金湯まで。趙風亭秘宗拳の特徴は架式の正確さ。大連の少年宮とかいろいろなところで、子供達が厳しく指導されていたけど、どこにも共通するのはそれ。馬歩、弓歩は大腿が地面と平行になるまで落とすよう言われる。低ければ良いわけじゃないけど、やらずにそうは言えないので、まずはやる。
http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=285682&video_id=508746
各動作には全て意味があり、必然的にそうなっているので、それを理解してもらうために用法を示す。型には表面上は現れず、隠された用法もあるので、説明を受けないと本当に理解するのは難しい。用法を正しく理解することで動きも正しいものになる。
ここまでの技でオレが特に理解しておく必要があると思うのは、収弓待發から上歩[走日/干]山の足の運び方。これはは間合いを調節する重要なもの。
技を教える時のやり方は先生によって違うけど、先生が三回手本を見せてくれたら、それで覚えるくらいの気持ちでやる。中には一回見せて、「はい、やっておいてね」なんて先生も多いと思う。それくらい集中する。
その後、突きの練習。これも通背拳が他派と違って平拳を攻撃のメインの技としていないので、ちょっとやっておかないと。
続きは後ほど
参加者 繁田、川村、加治
良い天気だが寒い。霜柱なんてあったりする。風もある。陽の当たる面は暖かいけど、裏面は寒い。でも、暖かくなったよなぁと言える日。
通背拳(「うちの通背拳は」かも)は実用本位なせいか虚歩を多用し、普段の練習で馬歩、弓歩などの出てくる頻度が少ない。なのでまるっきりの初心者だったりするとその辺の功夫が不足する。で、今日はその強化をしようと思い立つ(その場で)。
初心者には五歩拳から教えるが、そこそこ出来れば秘宗拳の小護掩(←ホントは「護」も手偏)を練習してもらう。そこそこ長く、突きも代表的なのが数種類、蹴りも旋風脚、二起脚、掃腿なども入ってこれができると一般的な長拳系のもろもろが身につく。今日は起勢から一動作ずつ行い、固若金湯まで。趙風亭秘宗拳の特徴は架式の正確さ。大連の少年宮とかいろいろなところで、子供達が厳しく指導されていたけど、どこにも共通するのはそれ。馬歩、弓歩は大腿が地面と平行になるまで落とすよう言われる。低ければ良いわけじゃないけど、やらずにそうは言えないので、まずはやる。
http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=285682&video_id=508746
各動作には全て意味があり、必然的にそうなっているので、それを理解してもらうために用法を示す。型には表面上は現れず、隠された用法もあるので、説明を受けないと本当に理解するのは難しい。用法を正しく理解することで動きも正しいものになる。
ここまでの技でオレが特に理解しておく必要があると思うのは、収弓待發から上歩[走日/干]山の足の運び方。これはは間合いを調節する重要なもの。
技を教える時のやり方は先生によって違うけど、先生が三回手本を見せてくれたら、それで覚えるくらいの気持ちでやる。中には一回見せて、「はい、やっておいてね」なんて先生も多いと思う。それくらい集中する。
その後、突きの練習。これも通背拳が他派と違って平拳を攻撃のメインの技としていないので、ちょっとやっておかないと。
続きは後ほど
2011年02月20日
練習日記群馬支部2011.02.19
練習日記群馬支部2011.02.19 09:00〜11:20浜川運動公園芝生広場
参加者 繁田、川村、水無月
スゴク天気が良い朝。ホント、雲一つない青空。飛行機雲を練習前に3つ見た。
個人的に強化月間な判官筆をやろうと早めに家を出た。でも、いきなり判官筆をするのはナニなので圧腿をしていたら、繁田さん、川村さんが来たので、通常練習を始めることにした。
今日は中学の同級生水無月が体験に来ることになっていたので、まだ時間も早いし、待ちながら先ずは五歩拳を復習する。( http://www.tongbei.com/etc/wbq.pdf ネットのどこかからもらってきたモノ。勝手に使っちゃマズイ?問題あったら指摘してください)ウチでは弓歩の前に四六歩、弾腿の後に独立歩を入れて行ってる。
そうこうするうちに水無月が来たので、準備体操から始める。
そして、圧腿(yatui やーとぅぇい)。側圧腿と正圧腿。うちの練習の第一関門はコレ。
激しく動いて息が切れる訳でもないし、姿勢が低くて腿がプルプルする訳でもない。しかし、最初は耐え難い痛みがある。これが苦痛な練習生は多いと思うが、なんとか頑張って欲しい。「身体が柔らかくなかったら、武術なんてできないじゃん!」とはオレの友人でもあり、師匠でもあった人からの一言。ある一線を越えれば、痛気持ち良いに変わるので、ガンバレ!>みんな。水無月もツラそうだったので、普段はこの後、仆歩圧腿もするけど、今日はヤメにしておいた。その後、独立歩で膝を抱え込むヤツ。圧腿で伸ばしたところをぎゅーって縮めるっていうか曲げるっていうかする。
次、[足易]腿。初心者は、高く蹴り上げなくても良いので、背中を曲げない、軸脚のかかとを浮かさないことを気をつける。正、斜、側、擺蓮、里合、分脚、蹬脚、端脚、斧刃脚、踵で蹴るヤツ二つ、掛脚、龍尾脚、ここまで水無月も一緒。その後はちょい難度あがるので、見ててもらって、連環腿、二起脚、旋風脚、騰空擺蓮脚、旋子。
小休止後、通背基本功。虚歩とか足の指とか舌とかの説明。揺臂法(前、後、双)、揺腕法(横、縦)、揺腰法の三揺。+揺身法。
次、五行掌。[才率]。先ずは素振りで。リラックスする、口から打つ、遠くへ伸ばす、最初は早く、強くは意識しない。通背の説明と「腕力」使う説明。
その後、ミット打ち。先ずは素振りの通り打ってもらう。
でも、普通はそんなにはうまく打てないから、一つ目のアドバイス。
今より、10cm奥を打つつもりで。
打った時、手がミットに張り付くように。
この意識でミットに受ける打撃の質は随分変わる。
最初からアドバイスすれば良いように感じるかも知れないけれど、出来ない体験をすることで、その後どう出来た、どう変わったかかがわかる。いじわるしてる訳じゃない。
その後、水平ミット打ち。余分な力を抜いて、フトン叩きの要領。体温計を戻す感覚。
水無月、意外と打ち気満々!剣道やってたからか?それとも持って生まれた性格か?
も少し、肩の力を抜くように言って、だんだん良くなる。
その後、通常スタイルで打ってもらう。結構良い感じの通背っぽい打撃になる。
オトコは過去の経験や武術に対する先入観からか、力が抜けきれず、最初は突きっぽい[才率]になることが多いけど、女性の場合、その辺まっさらなことが多いので、言われたとおりの素直な動きが出来て、良い感じに打てる気がする。
ミットの持ち手は全員持ち回り。打つのも練習だけど、受けるのも練習。打撃の質を感じるには受けてみないとわからない。
男性諸君はその後、拍と鑽。鑽はなかなか威力をだすのは難しい。ミット越しに受け手が「うぐっ」ってなるように打つ。
次、散手。捕手[才率]。受けは架手。引手と架手の説明。
水無月、やはり打ち気満々。通背向きな性格。捕手と[才率]を同時に。[才率]は引かずに打つなど説明し、相手を交代する。交代した相手は油断したようで水無月の[才率]を喰らっていた。相手が誰でも(女性の初心者でも)油断してはならない。
水無月とは捕手[才率]、他の男性は三合炮。まだ硬いのと手を引きすぎるので攻撃の間隔があきすぎてしまう。
最後に擒拿をちょびっと。数をこなさいと出来ない類の技とコツがわかればそこそこ使える技があるのを知ってもらうため。
五歩拳(少林、秘宗拳)、奇形花撃炮(通背拳)、子午棍(秘宗拳)を見せて、整理体操、通背養気功(擡頭望月)をやって本日の練習終了。
水無月から試合の事を聞かれる。
中国武術は流派も多く、統一された組織はないので(なくはないけど)剣道のような大会はない。
でも、組手の大会と型の大会(表演大会)は一定のルールの下にいくつか行われている。
組手の大会は防具ありだったり、素手素面だったり、大会によってやり方や規模は様々。
表演大会は日本にも大きな組織があって、毎年大きな大会をしているけれど、点の出やすい型があって、常松先生(オレの先生)が通背拳で出てもたぶん入賞すら出来ないと思う。(でも、それを批判するつもりはないです)
群馬支部では、伝えられてきた通背拳が持っている技をそのままの意味で使えるようにしている。それが出来る身体作りとそれが使える身体の使い方を学ぶ。通背拳を使えるように練習する。危険な技も(危なくないように)練習して、いざという時には使えるように。そしてそれを使われたとしても、守るべきところは守れるように。そんな感じです。
参加者 繁田、川村、水無月
スゴク天気が良い朝。ホント、雲一つない青空。飛行機雲を練習前に3つ見た。
個人的に強化月間な判官筆をやろうと早めに家を出た。でも、いきなり判官筆をするのはナニなので圧腿をしていたら、繁田さん、川村さんが来たので、通常練習を始めることにした。
今日は中学の同級生水無月が体験に来ることになっていたので、まだ時間も早いし、待ちながら先ずは五歩拳を復習する。( http://www.tongbei.com/etc/wbq.pdf ネットのどこかからもらってきたモノ。勝手に使っちゃマズイ?問題あったら指摘してください)ウチでは弓歩の前に四六歩、弾腿の後に独立歩を入れて行ってる。
そうこうするうちに水無月が来たので、準備体操から始める。
そして、圧腿(yatui やーとぅぇい)。側圧腿と正圧腿。うちの練習の第一関門はコレ。
激しく動いて息が切れる訳でもないし、姿勢が低くて腿がプルプルする訳でもない。しかし、最初は耐え難い痛みがある。これが苦痛な練習生は多いと思うが、なんとか頑張って欲しい。「身体が柔らかくなかったら、武術なんてできないじゃん!」とはオレの友人でもあり、師匠でもあった人からの一言。ある一線を越えれば、痛気持ち良いに変わるので、ガンバレ!>みんな。水無月もツラそうだったので、普段はこの後、仆歩圧腿もするけど、今日はヤメにしておいた。その後、独立歩で膝を抱え込むヤツ。圧腿で伸ばしたところをぎゅーって縮めるっていうか曲げるっていうかする。
次、[足易]腿。初心者は、高く蹴り上げなくても良いので、背中を曲げない、軸脚のかかとを浮かさないことを気をつける。正、斜、側、擺蓮、里合、分脚、蹬脚、端脚、斧刃脚、踵で蹴るヤツ二つ、掛脚、龍尾脚、ここまで水無月も一緒。その後はちょい難度あがるので、見ててもらって、連環腿、二起脚、旋風脚、騰空擺蓮脚、旋子。
小休止後、通背基本功。虚歩とか足の指とか舌とかの説明。揺臂法(前、後、双)、揺腕法(横、縦)、揺腰法の三揺。+揺身法。
次、五行掌。[才率]。先ずは素振りで。リラックスする、口から打つ、遠くへ伸ばす、最初は早く、強くは意識しない。通背の説明と「腕力」使う説明。
その後、ミット打ち。先ずは素振りの通り打ってもらう。
でも、普通はそんなにはうまく打てないから、一つ目のアドバイス。
今より、10cm奥を打つつもりで。
打った時、手がミットに張り付くように。
この意識でミットに受ける打撃の質は随分変わる。
最初からアドバイスすれば良いように感じるかも知れないけれど、出来ない体験をすることで、その後どう出来た、どう変わったかかがわかる。いじわるしてる訳じゃない。
その後、水平ミット打ち。余分な力を抜いて、フトン叩きの要領。体温計を戻す感覚。
水無月、意外と打ち気満々!剣道やってたからか?それとも持って生まれた性格か?
も少し、肩の力を抜くように言って、だんだん良くなる。
その後、通常スタイルで打ってもらう。結構良い感じの通背っぽい打撃になる。
オトコは過去の経験や武術に対する先入観からか、力が抜けきれず、最初は突きっぽい[才率]になることが多いけど、女性の場合、その辺まっさらなことが多いので、言われたとおりの素直な動きが出来て、良い感じに打てる気がする。
ミットの持ち手は全員持ち回り。打つのも練習だけど、受けるのも練習。打撃の質を感じるには受けてみないとわからない。
男性諸君はその後、拍と鑽。鑽はなかなか威力をだすのは難しい。ミット越しに受け手が「うぐっ」ってなるように打つ。
次、散手。捕手[才率]。受けは架手。引手と架手の説明。
水無月、やはり打ち気満々。通背向きな性格。捕手と[才率]を同時に。[才率]は引かずに打つなど説明し、相手を交代する。交代した相手は油断したようで水無月の[才率]を喰らっていた。相手が誰でも(女性の初心者でも)油断してはならない。
水無月とは捕手[才率]、他の男性は三合炮。まだ硬いのと手を引きすぎるので攻撃の間隔があきすぎてしまう。
最後に擒拿をちょびっと。数をこなさいと出来ない類の技とコツがわかればそこそこ使える技があるのを知ってもらうため。
五歩拳(少林、秘宗拳)、奇形花撃炮(通背拳)、子午棍(秘宗拳)を見せて、整理体操、通背養気功(擡頭望月)をやって本日の練習終了。
水無月から試合の事を聞かれる。
中国武術は流派も多く、統一された組織はないので(なくはないけど)剣道のような大会はない。
でも、組手の大会と型の大会(表演大会)は一定のルールの下にいくつか行われている。
組手の大会は防具ありだったり、素手素面だったり、大会によってやり方や規模は様々。
表演大会は日本にも大きな組織があって、毎年大きな大会をしているけれど、点の出やすい型があって、常松先生(オレの先生)が通背拳で出てもたぶん入賞すら出来ないと思う。(でも、それを批判するつもりはないです)
群馬支部では、伝えられてきた通背拳が持っている技をそのままの意味で使えるようにしている。それが出来る身体作りとそれが使える身体の使い方を学ぶ。通背拳を使えるように練習する。危険な技も(危なくないように)練習して、いざという時には使えるように。そしてそれを使われたとしても、守るべきところは守れるように。そんな感じです。
2011年02月12日
練習日記群馬支部2011.02.11
練習日記群馬支部2011.02.11 09:00〜11:20高架下
参加者 関口
雪がチラチラして来たけど、このくらいなら大丈夫だろうと浜川公園へ向かう。
着くと積もってはいないけど、降り方がハンパないので、急遽高架下へ。
多少吹き込むけど、雪はなんとかしのげる。だけど寒さがハンパねぇ。
普段は揺臂法単手で暖まる身体が双手が終わってもまだ寒い。
そうこうするうちに関口くんが来る。
所用で練習日を土曜から変更したし、こんな天気の日に外で練習する物好きもそうはいないから、今日は誰も来ないかなと思ったけど、流石。
関口くんとマンツーなら今日の練習は拍と判官筆と決めた。
拍を水平ミット打ちで行う。指示は1.(余分な)力を入れない、2.ゆっくり行う、3.手の重さを使う。
これで地面と水平に持ったミットを上から打ち下ろし、拍の正しい感覚を探る。上からの打ち下ろしは肩や肘に余分な力が入らずに行いやすい(手を上げた後、力を抜けば自然と重力に引かれるてミットまで落ちるから)。とは言えそれでもうまくいく時とそうでない時がある。
水平で良いのが打てるようになったら、ミットを少しずつ起こして行く。最終的には地面と垂直ちょい手前まで持って行って、通常拍にする。地面と水平に打つにはどうして肩に力を入れなければ腕を支えられないので、そこを必要最小限にして拍を打つ。
これを結構やったかな?基本功と拍で1時間使った。
その後、判官筆。一時期集中的にやったけど、しばらくやらなかったので套路がうろ覚え。一路ずつ、再確認しながら、素手で行う。判官筆を持って行うのと素手で行うのは全然感覚が違うけど、たぶんこのうろ覚えの状態で判官筆を持ってやったら套路が覚えられない。それほど判官筆を持って行うとそのことに神経を使う。判官筆を持って行うのは、素手で套路をすんなり通せるようになってからにする。
繰り返し繰り返し行って、なんとか思い出したか。やらないとまた忘れちゃうから、しばらく毎日しようと思う。
套路もたくさんやったけど、もう絶対忘れないと言えるのはそんなには多くない。通背:奇形花撃炮、秘宗:小護掩、子午棍、太極:簡化二十四式、螳螂:崩歩くらいか?
判官筆、明堂功も忘れないようにしたい。あとは五十四手と通背剣くらいでいいかな。
写真は判官筆。
一番上は寸鉄。BABのビデオとセットで買ったヤツ。真ん中は常松先生所蔵のモノに近い形状。中国で特注したものを片桐くん経由で入手。下のは張安福師兄のものをベースにして○○師兄の工場で中国人研修生に作ってもらった特注品。
参加者 関口
雪がチラチラして来たけど、このくらいなら大丈夫だろうと浜川公園へ向かう。
着くと積もってはいないけど、降り方がハンパないので、急遽高架下へ。
多少吹き込むけど、雪はなんとかしのげる。だけど寒さがハンパねぇ。
普段は揺臂法単手で暖まる身体が双手が終わってもまだ寒い。
そうこうするうちに関口くんが来る。
所用で練習日を土曜から変更したし、こんな天気の日に外で練習する物好きもそうはいないから、今日は誰も来ないかなと思ったけど、流石。
関口くんとマンツーなら今日の練習は拍と判官筆と決めた。
拍を水平ミット打ちで行う。指示は1.(余分な)力を入れない、2.ゆっくり行う、3.手の重さを使う。
これで地面と水平に持ったミットを上から打ち下ろし、拍の正しい感覚を探る。上からの打ち下ろしは肩や肘に余分な力が入らずに行いやすい(手を上げた後、力を抜けば自然と重力に引かれるてミットまで落ちるから)。とは言えそれでもうまくいく時とそうでない時がある。
水平で良いのが打てるようになったら、ミットを少しずつ起こして行く。最終的には地面と垂直ちょい手前まで持って行って、通常拍にする。地面と水平に打つにはどうして肩に力を入れなければ腕を支えられないので、そこを必要最小限にして拍を打つ。
これを結構やったかな?基本功と拍で1時間使った。
その後、判官筆。一時期集中的にやったけど、しばらくやらなかったので套路がうろ覚え。一路ずつ、再確認しながら、素手で行う。判官筆を持って行うのと素手で行うのは全然感覚が違うけど、たぶんこのうろ覚えの状態で判官筆を持ってやったら套路が覚えられない。それほど判官筆を持って行うとそのことに神経を使う。判官筆を持って行うのは、素手で套路をすんなり通せるようになってからにする。
繰り返し繰り返し行って、なんとか思い出したか。やらないとまた忘れちゃうから、しばらく毎日しようと思う。
套路もたくさんやったけど、もう絶対忘れないと言えるのはそんなには多くない。通背:奇形花撃炮、秘宗:小護掩、子午棍、太極:簡化二十四式、螳螂:崩歩くらいか?
判官筆、明堂功も忘れないようにしたい。あとは五十四手と通背剣くらいでいいかな。
写真は判官筆。
一番上は寸鉄。BABのビデオとセットで買ったヤツ。真ん中は常松先生所蔵のモノに近い形状。中国で特注したものを片桐くん経由で入手。下のは張安福師兄のものをベースにして○○師兄の工場で中国人研修生に作ってもらった特注品。