支那武術は現在ではこれを『國術』と称することになつてゐる。一体支那武術は何時の頃かららあつたのであらうか。詩経の小雅に「無拳無勇、職為乱階」とあり、また、春秋の*公廿八年に「晋侠夢和楚子傳」とある。 相当太古より存在したらしいことが想像される。支那人は何事に限らず古いこととそして自國のものと云ふことに誇りを感ずるのであるが、武術に於てもその通りで、彼等の説に拠ると武術は黄帝の創案に係るもので、蚩尤と戦つた時には武術に長けてゐたが故に黄帝軍が勝利を得たのだと傳ふ。然し兵器は或は然らん、拳法はさて如何?恐らくは今日の如き形を整へたのは正しく後漢以後にあらう。しかも流派を称するに至つたのは六朝頃より始つたものであらう。以下現代の武術について述ぺてみよう。
國術ーー
國術とは我民族固有の技能で一代一代と相傳し来りしところの一種の武藝の意味に外ならない。若し学術*科について論ずるならば一國には一國の文学即國学があると同様に、一國には一國の武術即國術があるべきである。かうした観点より民國十六年以来我等は國術の名称を訂定したのである。(中央國術館周刊第一〇八期)
我等はここで注意しなけれぱならないのは、かくの如くして「國術」を提唱しつつあつても其実支那武術は従来の「武術」と云ふ観念よりは少しく違つたものとなつてきたことである。國術指導者たちは一斉に次のやうに云つてゐるー
(一)國術は手眼身歩を鍛錬の本体となすを以て百肢百体は協同の動作となる。従つて、一肢体に偏すと云ふ病弊なし
(二)國術は生理学に適合したるものなるを以て神気の増進と血脈の調和を来す。従て百利ありて一害なし
(三)國術は経済的束縛を受くることなきを以て貧富を間はず老幼男女を分たずしかも相手と場所を選ぶことなく練習し得
(四)國術は体用兼備なるを以て強身強種たり得しかも白兵格闘の用に亦役立つ
(五)國術は一種の優美なる鍛錬なるを以て能く*深なるを得ぱ風虎雲龍の変化自在にして体育上興味と美感とを増加す
此くの如くして彼等は武術と云ふよりは主として体育としてのものに価値と重点とを置いたのである。否、体育化に努力しだしたのだと云ふぺぎであらう。そして他面に於ては斯うした機運を乙醸成させることによつて武術家の所謂「門戸の見」を消算せしむると共に雲霞の如く数多き諸流派を集大成し茲に新たなる形を造成しよう、云はば武術の統一運動を促進しようと志したのであつた。
ところが、第一にこの体育化提唱に絶対反対の烽火が挙がつた。また、反統一運動が洪水の如き勢をもつて蔓延しだした。かかる混沌たる間に支那事変は勃発したのである。
だが、我等が銘記すべきは此等諸説を貫いて其底を流れつつあつた理念は唯だ一つであつたと云うことである。基本的理念は次の如くに思はれた−−−
「強國は強種より、そして強種は強身より!だ。支那の欠点は科学文明に起ち遅れてゐる事であるが、それにもまして其欠点は”東亜病父”と綽名さるる程に國民の体格が弱いことにある。孫中山は我等に遺言された、和平、奮闘、救中國!と。我等は何がために奮闘しなければならぬか?それは和平のためだ。如何にせば和平が得らるるか?それは奮闘によるのみだ。然らば我等は何に*つて奮闘するのか。それは國術を研錬するより以外に途はない」
※誤字や脱字と思われるところもありますが、原文通りに打ちました。
旧漢字は変換できたものはそのまま、探すのが難しかったのは今の漢字で打ちました。
2009年03月15日
2009年03月01日
2009年02月28日
支那武術由来記
これは通背拳の武田熈先生が何かの雑誌に載せた文章です。
ボクの友人が武田先生から直接コピーをもらい、ボクはさらにそのコピーをもらいました。
以前データとして保存しようと入力しましたが、途中で終わっています。識別できなかった部分は空白になっています。
完成させたいのですが、コピーが今、見あたりません(^_^;
著作権的にどうなのかは微妙ですが、貴重な資料なのでたくさんの人の目に触れた方が良いと思い掲載します。
支那武術由来記 武田 熈
(一)
『王向斉なるものあり、自ら大成拳の鼻祖宗師と称し他の門派を蔑視すること甚だしきを以て我等一同公衆の面前に於いて勝負を決し度きにつき審判の役を御承引願上度候』−−−という手紙が数日前私宛に送達されて来た。差出人は「北京武術家一同」とあった。
支那には庶民相手の小型新聞が存在してゐる。所謂小報と呼ばれるものであるが、この小報のうちで北京で最も素行のいい 報と新北京とに王向斉なる仁の人を喰った談話が数日間掲載された。それは六月の半頃であった。そこで武術界には一時に、夏蝉の如くかますびしい声が湧き起こった。その結果が上記の手紙となつた次第であらう。
そうだ−−−かうした事件は度々あるそのうち私がまだ忘れ得ない大きな事件が二つ三つある。その中の一つ−−−−丁度私が北京大学に在学してゐた頃、北京の中央公園にある行健会と呼ばれる武術倶楽部に某日一人の青年が訪れた。そして 低声、師範役へ向つて「一本御指南を」と申し込んだ。これが武術界に暴風を巻き起こす事となつたのである。説に曰く、其青年の父は以前行健会師範役であつたといふ。過ぐる年他流試合を申込まれこれに応じたのであるが相手の暗器(隠し道具)のため遂に倒された。そして自己の不覚と相手の不信とを憤りつつ果敢なく死んで行つた。これを見た遺されたる児と其母は「敵討ち」の念が火と燃えたが何分にもか弱い母子では如何とも仕方がなかつた。そこで、定石通り武者修行の旅へ立つこととなつた。春風秋雨廿年、歳月は瞬くまに過ぎた。もうすつかり自信を獲得した遺児は愈愈其目的を達すべく、勇んで各處に敵を捜しつつ北京に乗込んだ。不倶 天の かも今では父の地位の 者となつてゐる敵を直ちに発見した。そこで、行健会師範にかくは試合を挑んだのであつた。だから、立上がるや否や青年には「目 く裂け」と云つた程に、もうすつかり殺氣が充満いてゐた。無理はないと、見る間もあらばこそ忽ちにして相手を二三間も彼方に投げつけてゐた。青年は容を正して厳然、天日を指して宣言した「亡父の遺恨を今日こそ晴らしたり」と。さあ問題だ。「初心を装うて仇討ち呼ばはりとは不 至極!」と、 し敗者にも三分の理だ。そしてこの問題を大衆討議に付し自己へ同情を集めようと策した。すると未亡人たる青年の母が群衆を押分けて出で来たり「悪人にも似合はず何たる卑怯な振舞よな。いざさらば妾が相手となり申さん」とやり出した。で、争ひは火に油を注いで、 然たるものとなつて行つた。我々は手に汗を握り、片唾を呑んで凝視した−−が、終に知らせによつて馳つけて来た時の北京市長の仲裁によつて、兎に角この場は落着したのであつた。
ボクの友人が武田先生から直接コピーをもらい、ボクはさらにそのコピーをもらいました。
以前データとして保存しようと入力しましたが、途中で終わっています。識別できなかった部分は空白になっています。
完成させたいのですが、コピーが今、見あたりません(^_^;
著作権的にどうなのかは微妙ですが、貴重な資料なのでたくさんの人の目に触れた方が良いと思い掲載します。
支那武術由来記 武田 熈
(一)
『王向斉なるものあり、自ら大成拳の鼻祖宗師と称し他の門派を蔑視すること甚だしきを以て我等一同公衆の面前に於いて勝負を決し度きにつき審判の役を御承引願上度候』−−−という手紙が数日前私宛に送達されて来た。差出人は「北京武術家一同」とあった。
支那には庶民相手の小型新聞が存在してゐる。所謂小報と呼ばれるものであるが、この小報のうちで北京で最も素行のいい 報と新北京とに王向斉なる仁の人を喰った談話が数日間掲載された。それは六月の半頃であった。そこで武術界には一時に、夏蝉の如くかますびしい声が湧き起こった。その結果が上記の手紙となつた次第であらう。
そうだ−−−かうした事件は度々あるそのうち私がまだ忘れ得ない大きな事件が二つ三つある。その中の一つ−−−−丁度私が北京大学に在学してゐた頃、北京の中央公園にある行健会と呼ばれる武術倶楽部に某日一人の青年が訪れた。そして 低声、師範役へ向つて「一本御指南を」と申し込んだ。これが武術界に暴風を巻き起こす事となつたのである。説に曰く、其青年の父は以前行健会師範役であつたといふ。過ぐる年他流試合を申込まれこれに応じたのであるが相手の暗器(隠し道具)のため遂に倒された。そして自己の不覚と相手の不信とを憤りつつ果敢なく死んで行つた。これを見た遺されたる児と其母は「敵討ち」の念が火と燃えたが何分にもか弱い母子では如何とも仕方がなかつた。そこで、定石通り武者修行の旅へ立つこととなつた。春風秋雨廿年、歳月は瞬くまに過ぎた。もうすつかり自信を獲得した遺児は愈愈其目的を達すべく、勇んで各處に敵を捜しつつ北京に乗込んだ。不倶 天の かも今では父の地位の 者となつてゐる敵を直ちに発見した。そこで、行健会師範にかくは試合を挑んだのであつた。だから、立上がるや否や青年には「目 く裂け」と云つた程に、もうすつかり殺氣が充満いてゐた。無理はないと、見る間もあらばこそ忽ちにして相手を二三間も彼方に投げつけてゐた。青年は容を正して厳然、天日を指して宣言した「亡父の遺恨を今日こそ晴らしたり」と。さあ問題だ。「初心を装うて仇討ち呼ばはりとは不 至極!」と、 し敗者にも三分の理だ。そしてこの問題を大衆討議に付し自己へ同情を集めようと策した。すると未亡人たる青年の母が群衆を押分けて出で来たり「悪人にも似合はず何たる卑怯な振舞よな。いざさらば妾が相手となり申さん」とやり出した。で、争ひは火に油を注いで、 然たるものとなつて行つた。我々は手に汗を握り、片唾を呑んで凝視した−−が、終に知らせによつて馳つけて来た時の北京市長の仲裁によつて、兎に角この場は落着したのであつた。
2009年02月26日
謎のおっさん
遭遇
2006年08月23日21:54
先週の土曜、セガレがカブトを捕りに行きたいというので近くの古墳に早起きしてGO!
間もなく「うんちがしたい!」と言うので急いでちょっと離れたコンビニに。途中野球場のバックネットに脚をかけているじーさんが。「じーさんなのに圧腿みたいなことしてるなー」と思ったけど「まさかね...」。
戻ってくるとさっきのおっさん(よく見るとじーさんよりは若い。が中年)陳式やってる。
「やっぱ圧腿だったんだー。後で話しかけるかなー」しかし、セガレが「速く速く」というので再び山へ。結局、収穫はカマキリ2匹。「もう、いい」というセガレを連れ、さっきのおっさんのとこへ。
一足違いでチャリで帰るトコ。チャリのサドルが異様に高く、おそらく中国人だろうと思う(顔も頑強なアゴが中国人っぽい)。結局話しかけず終い。確認はできなかったが、オレの民間武術探検隊の血が騒ぐ。おっさん、生粋の民間武術家と見た。
イブの朝
2006年12月25日23:42
例の中国人(断定)が練習している公園に馬の神様(ハニワ)を見に子どもとイブの朝出かける。寒い中、チャリをこいで行くと(子どもがチャリで行きたいと言うので)、陳式をしている民間人が。お、例のおっさんか!と思い、今日こそは話しかけるぞ!と気合を注入!。しかし、ちょっと目を離したスキにおっさんを見失い、むむむっと思っていると、槍の素振りをしながらデカイ公園をぐる〜〜〜っと回っているのに気づく。ほどなくして我々のそばにあらわれたおっさん。以前見たときとはちょっと様子が違うが、薄汚れたトレーナーに軍手着用、槍はおそらく鉄パイプにビニールテープを巻いたような(しかもいびつに微妙に曲がっている)シロモノ、無精ひげ加減も間違いなく100%民間中国人。オレは元気よく「おはようございます!」と話しかけてみた。おっさんは一瞬たじろいだように呻く。日本語がそんなにうまくないんだ!もう120%確実!「悠是中国人口馬?(中国人ですか?)」と中国語で話しかる。しかし!意に反して返ってきたのは「え、なんですか?」という流暢な日本語(^_^;日本人だったよ。話しをするとオレが一番始めに武術を習った精武体育会日本支部の人。故伊藤先生の事などをいろいろ話す。先生亡き後も有志で高崎武道館で活動を続けているそうな。今度時間を作って練習に行ってみたい。
*やはり昔mixiに書いたものです。
2006年08月23日21:54
先週の土曜、セガレがカブトを捕りに行きたいというので近くの古墳に早起きしてGO!
間もなく「うんちがしたい!」と言うので急いでちょっと離れたコンビニに。途中野球場のバックネットに脚をかけているじーさんが。「じーさんなのに圧腿みたいなことしてるなー」と思ったけど「まさかね...」。
戻ってくるとさっきのおっさん(よく見るとじーさんよりは若い。が中年)陳式やってる。
「やっぱ圧腿だったんだー。後で話しかけるかなー」しかし、セガレが「速く速く」というので再び山へ。結局、収穫はカマキリ2匹。「もう、いい」というセガレを連れ、さっきのおっさんのとこへ。
一足違いでチャリで帰るトコ。チャリのサドルが異様に高く、おそらく中国人だろうと思う(顔も頑強なアゴが中国人っぽい)。結局話しかけず終い。確認はできなかったが、オレの民間武術探検隊の血が騒ぐ。おっさん、生粋の民間武術家と見た。
イブの朝
2006年12月25日23:42
例の中国人(断定)が練習している公園に馬の神様(ハニワ)を見に子どもとイブの朝出かける。寒い中、チャリをこいで行くと(子どもがチャリで行きたいと言うので)、陳式をしている民間人が。お、例のおっさんか!と思い、今日こそは話しかけるぞ!と気合を注入!。しかし、ちょっと目を離したスキにおっさんを見失い、むむむっと思っていると、槍の素振りをしながらデカイ公園をぐる〜〜〜っと回っているのに気づく。ほどなくして我々のそばにあらわれたおっさん。以前見たときとはちょっと様子が違うが、薄汚れたトレーナーに軍手着用、槍はおそらく鉄パイプにビニールテープを巻いたような(しかもいびつに微妙に曲がっている)シロモノ、無精ひげ加減も間違いなく100%民間中国人。オレは元気よく「おはようございます!」と話しかけてみた。おっさんは一瞬たじろいだように呻く。日本語がそんなにうまくないんだ!もう120%確実!「悠是中国人口馬?(中国人ですか?)」と中国語で話しかる。しかし!意に反して返ってきたのは「え、なんですか?」という流暢な日本語(^_^;日本人だったよ。話しをするとオレが一番始めに武術を習った精武体育会日本支部の人。故伊藤先生の事などをいろいろ話す。先生亡き後も有志で高崎武道館で活動を続けているそうな。今度時間を作って練習に行ってみたい。
*やはり昔mixiに書いたものです。
2009年02月24日
2/24
見かけ上はわからないけれど、レンタルサーバを変更しました。
ブログ機能がついていたので設定。
しばらく更新もしていなかったので、ちょっとしたことはブログに書くかなぁと思い、設置しました。
とりあえずmixiで書いてきた日記を過去にさかのぼってアップしていきます。
ブログ機能がついていたので設定。
しばらく更新もしていなかったので、ちょっとしたことはブログに書くかなぁと思い、設置しました。
とりあえずmixiで書いてきた日記を過去にさかのぼってアップしていきます。
2009年02月08日
それはうちの利用者です
ボクが見ている事業所はいろいろな仕事をしていますが、女子大の清掃をしているグループがあります。
働いているのは知的障がいや身体障がいを持つ人。年齢は20歳過ぎから50代までさまざま。(でも20代前半が圧倒的に多い)
先週、大学の投書箱の中に入っていたと事務局の人が学生の投書を持ってきてくれました。
清掃員の方々へ
いつも大学を綺麗にして下さって感謝しています。
真夏の暑い中での草取りや、寒い中での落ち葉掃除等
いつも直接お礼の言葉をいえないので、この場をお借り
しました。トイレも常に清潔なので、使用していて気持ち
良いです。ありがとうございました。
清掃中に声をかけてくれる学生もいますが、声をかけてくれなくてもこんな風に思っている学生がいたことをとてもうれしく思います。
そして「それはうちの利用者です!」と誇らしい気持ちになりました。
働いているのは知的障がいや身体障がいを持つ人。年齢は20歳過ぎから50代までさまざま。(でも20代前半が圧倒的に多い)
先週、大学の投書箱の中に入っていたと事務局の人が学生の投書を持ってきてくれました。
清掃員の方々へ
いつも大学を綺麗にして下さって感謝しています。
真夏の暑い中での草取りや、寒い中での落ち葉掃除等
いつも直接お礼の言葉をいえないので、この場をお借り
しました。トイレも常に清潔なので、使用していて気持ち
良いです。ありがとうございました。
清掃中に声をかけてくれる学生もいますが、声をかけてくれなくてもこんな風に思っている学生がいたことをとてもうれしく思います。
そして「それはうちの利用者です!」と誇らしい気持ちになりました。
2009年01月23日
I have a Dream.
3年位前、上のセガレを殴ったことがある。
今のところ後にも先にも殴ったのはその時だけ。
(この先、わかりませんが)
セガレが高校を辞めて家を出て一人で暮らして行くと言い出したことがあった。
いろいろなことがあってそういう話しを切り出したんだと思うけど
したくてそうしている訳ではないような感じだった。
どうしてもやりたい事があって、それは今すぐやらなければならない
という固い思いみたいなものがあればオレは全然構わないと思っているけど
そんな感じはしなかった。
妻がいろいろ聞いても的を得ないような答えだったり、なによりその
ふてくされた態度にオレは頭に来ていた。
話しの中で妻が自分のやりたい事は?将来の夢は?みたい事を言った。
セガレは「そんなバカげた夢みたいなことを追っても仕方がない」と
何もかもわかりきったような事を言い捨てた。
それを聞いてオレはキレた。
「なんだその態度は立てっ!」と胸ぐらつかんで立ち上がらせ
平手で顔を横殴りに何発か殴った。
エキサイトしてはいたけど、大怪我させてはいけないという気持ちは
(少しは)あったので手加減はして、でもかなりの威力で殴った。
たぶんその時セガレは身長ではオレを超えていたと思う。
殴り合いになるつもりでいたけど、セガレは泣き出し、その後
泣きながら自分の中に溜めていたことをはき出した。
結局は学校を辞めず、家も出ず、高校を卒業して、大学に進学し、
バイトしながら好きなことして、それなりに楽しんでるようだ。
後で妻から「結果的にはアレ(殴って)で良かったかもしれないけど、
計算してやった訳じゃないでしょ?」と言われたが、もちろんオレが計算なんてする訳がない。
刹那主義的に生きてますから。でも I have a Dream です。
今のところ後にも先にも殴ったのはその時だけ。
(この先、わかりませんが)
セガレが高校を辞めて家を出て一人で暮らして行くと言い出したことがあった。
いろいろなことがあってそういう話しを切り出したんだと思うけど
したくてそうしている訳ではないような感じだった。
どうしてもやりたい事があって、それは今すぐやらなければならない
という固い思いみたいなものがあればオレは全然構わないと思っているけど
そんな感じはしなかった。
妻がいろいろ聞いても的を得ないような答えだったり、なによりその
ふてくされた態度にオレは頭に来ていた。
話しの中で妻が自分のやりたい事は?将来の夢は?みたい事を言った。
セガレは「そんなバカげた夢みたいなことを追っても仕方がない」と
何もかもわかりきったような事を言い捨てた。
それを聞いてオレはキレた。
「なんだその態度は立てっ!」と胸ぐらつかんで立ち上がらせ
平手で顔を横殴りに何発か殴った。
エキサイトしてはいたけど、大怪我させてはいけないという気持ちは
(少しは)あったので手加減はして、でもかなりの威力で殴った。
たぶんその時セガレは身長ではオレを超えていたと思う。
殴り合いになるつもりでいたけど、セガレは泣き出し、その後
泣きながら自分の中に溜めていたことをはき出した。
結局は学校を辞めず、家も出ず、高校を卒業して、大学に進学し、
バイトしながら好きなことして、それなりに楽しんでるようだ。
後で妻から「結果的にはアレ(殴って)で良かったかもしれないけど、
計算してやった訳じゃないでしょ?」と言われたが、もちろんオレが計算なんてする訳がない。
刹那主義的に生きてますから。でも I have a Dream です。
2009年01月12日
どんど焼き
群馬ではよくやってる話しは聞いていたけど、生まれて初めて参加してみました。
早めにつくと地域のじいさん達が仕切って準備をしていました。

「おらおら、こういうのはオレ達に任せろよ」って感じが小気味よく、オレの目指すべきじいさん像が見えました。
櫓の組み方にも手順やシキタリがあるようで伝統の重さを感じます。

お偉いさん挨拶の後、いよいよ点火!

灯油(ガソリンか?)を撒いていたので一気に燃える!豪快!
竹のはじける音がスゴイ!
煙もスゴイ!太陽が隠れてあたりが暗くなるほど。
しばらくガーっと燃やした後、櫓も崩れ火力も一段落したところで、
竹ざおの先端に餅やするめなどをつけて焼く。焼けたら食べる。

うまく焼くにはちと道具を工夫したほうがよさそうでした。
今回は特に準備してなかったので、会場に用意してあった竹と針金のみで焼きましたが
金網とかアルミホイルとかあるとよさそうです。(用意してた人もいました)

係りのかあさんらが準備してくれたけんちん汁やお汁粉も振舞われる。
けんちんはキノコがたくさん入っていてスッゲーうまいっ!
オレの人生の中でベストオブけんちんでした。
早めにつくと地域のじいさん達が仕切って準備をしていました。

「おらおら、こういうのはオレ達に任せろよ」って感じが小気味よく、オレの目指すべきじいさん像が見えました。
櫓の組み方にも手順やシキタリがあるようで伝統の重さを感じます。

お偉いさん挨拶の後、いよいよ点火!

灯油(ガソリンか?)を撒いていたので一気に燃える!豪快!
竹のはじける音がスゴイ!
煙もスゴイ!太陽が隠れてあたりが暗くなるほど。
しばらくガーっと燃やした後、櫓も崩れ火力も一段落したところで、
竹ざおの先端に餅やするめなどをつけて焼く。焼けたら食べる。

うまく焼くにはちと道具を工夫したほうがよさそうでした。
今回は特に準備してなかったので、会場に用意してあった竹と針金のみで焼きましたが
金網とかアルミホイルとかあるとよさそうです。(用意してた人もいました)

係りのかあさんらが準備してくれたけんちん汁やお汁粉も振舞われる。
けんちんはキノコがたくさん入っていてスッゲーうまいっ!
オレの人生の中でベストオブけんちんでした。
2009年01月11日
たこあげ
出かけて帰ってくると近所の子ども達が道路でコンビニ袋にビニールひもをつけて駆け回っていた。
オレが車から降りると「たおのとうさーん、ひもがからまっちゃったからなおして」と寄ってきた。
わたる「これ、飛ぶんかよ?こんなにからまってちゃダメだ。うちにすげー飛ぶやつあるから待ってな」とたおに凧をとりにいかせる。

ミサキ「これあがるの?」
わ「ったりめーだろ。すっげー飛ぶんだから。でも、ここじゃダメだから、工科大横のグランドに行くぞ。」
ハルヤ「えー、行っていいかなぁ」
わ「へーきへーき!たおんちのオヤジが一緒に行くから大丈夫って言ってきな」
ミ、ハ「うん!」
ってことで工科大横グランドに向かう。
途中田んぼがあって、そこを突っ切るとちょっと近道。
タオ「ここ行っちゃうか?」
ハ「いや、ダメだろ?おこられるよ」
わ「へーきへーき、走っていけばだいじょうぶ。」
みんなでだーっと駆け抜ける。
グランドに着くと
ミ「ここ入っていいの?はじめてきた。」
タ「へーきへーき、オレなんかなんかいもきてるから。」
ミ「だまって入っていいの?」
タ「いつもかってにはいってるよ、ねーパパ?」
グランドはサッカーおっさんが一人いるだけ。
風も良い具合。
わ「じゃあ、行くぜ!」
みるみるぐんぐんあがるあがる!

「初めてやった!面白い!」
みんな夢中になって代わる代わるあげる。
午前中浜川公園で初通背練習やった時も寒いと思ったけど、夕方のここはもっと寒い。
でも、子どもはみんな平気。
少し薄暗くなるくらいまでやってオジサン寒さが限界になってきたので終了〜
わ「来月、この凧がもらえるたこあげ大会があるから行くか?」
ミ「うーん、用があるから行けない。」
わ「どんな用?」
ミ「わかんないけど」
わ「じゃあ、行こうぜ!連れてってやるからさ!」
鬼ごっこしながら帰ろうってことになり
ハ「オジサンはしってね」
わ「オレは早いぜ!ワッハハ」
オレは瞬発力には自信が(まだ少し)ある。
が、持久力はないので、途中で棄権。
帰るとハルヤママが「子どもと遊んでもらってすみません」と言って缶ビールをくれた。
「いや、こんなことなんでもないですよ。そんな気を使わなくても」と言いつつももらう(オレは飲まないけど)。
近所の子どもが外で一緒に遊ぶってことが非日常的なことになりつつあるのかなぁってちょっと考えた日でした。
オレが車から降りると「たおのとうさーん、ひもがからまっちゃったからなおして」と寄ってきた。
わたる「これ、飛ぶんかよ?こんなにからまってちゃダメだ。うちにすげー飛ぶやつあるから待ってな」とたおに凧をとりにいかせる。

ミサキ「これあがるの?」
わ「ったりめーだろ。すっげー飛ぶんだから。でも、ここじゃダメだから、工科大横のグランドに行くぞ。」
ハルヤ「えー、行っていいかなぁ」
わ「へーきへーき!たおんちのオヤジが一緒に行くから大丈夫って言ってきな」
ミ、ハ「うん!」
ってことで工科大横グランドに向かう。
途中田んぼがあって、そこを突っ切るとちょっと近道。
タオ「ここ行っちゃうか?」
ハ「いや、ダメだろ?おこられるよ」
わ「へーきへーき、走っていけばだいじょうぶ。」
みんなでだーっと駆け抜ける。
グランドに着くと
ミ「ここ入っていいの?はじめてきた。」
タ「へーきへーき、オレなんかなんかいもきてるから。」
ミ「だまって入っていいの?」
タ「いつもかってにはいってるよ、ねーパパ?」
グランドはサッカーおっさんが一人いるだけ。
風も良い具合。
わ「じゃあ、行くぜ!」
みるみるぐんぐんあがるあがる!

「初めてやった!面白い!」
みんな夢中になって代わる代わるあげる。
午前中浜川公園で初通背練習やった時も寒いと思ったけど、夕方のここはもっと寒い。
でも、子どもはみんな平気。
少し薄暗くなるくらいまでやってオジサン寒さが限界になってきたので終了〜
わ「来月、この凧がもらえるたこあげ大会があるから行くか?」
ミ「うーん、用があるから行けない。」
わ「どんな用?」
ミ「わかんないけど」
わ「じゃあ、行こうぜ!連れてってやるからさ!」
鬼ごっこしながら帰ろうってことになり
ハ「オジサンはしってね」
わ「オレは早いぜ!ワッハハ」
オレは瞬発力には自信が(まだ少し)ある。
が、持久力はないので、途中で棄権。
帰るとハルヤママが「子どもと遊んでもらってすみません」と言って缶ビールをくれた。
「いや、こんなことなんでもないですよ。そんな気を使わなくても」と言いつつももらう(オレは飲まないけど)。
近所の子どもが外で一緒に遊ぶってことが非日常的なことになりつつあるのかなぁってちょっと考えた日でした。

2008年08月31日
群馬支部2008.08.31
練習日記群馬支部2008.08.31 09:00〜11:20浜川運動公園
参加者 片山、長井、福島、関口
雨が続いていたので、高架下かなと思ってたけど、晴れてきたので浜川で。
晴れてきたとは言え、下の芝生はぬかっているので練習はしづらい。足場の悪い所で練習するのも少しは意味があるかもしれない。でも、浜川公園でやろうと思った一番の理由はここには今の時期良い「気」が満ちているからだ。しかし「気」というものはなかなかに難しい。定義自体が人によって違うし、第三者にそれを示したりすることが容易ではない。しかし、武術を長年やってきた自分の中ではあきらかにいろいろな場面で「気」は存在すると感じる。この時期の浜川公園には良い「気」が確かに存在する。それが何にどう影響があるのか(もしくはないのか)はよくはわからないけれど、気持ちよく練習できることは確かだ。それだけでもここで練習する意味はある。
いつも通り基本功から。オレの先生(常松)の指導方法は基本的に「やらせて、見る」。最初に手本は見せるけど、一緒にやり続けることはまずない。でも、オレは基本的には一緒に同じだけやる。まだ自分が修行の中にあるってことも理由だけど、みんなにオレの動きを見て真似てもらいたいから。最高のお手本ではないだろうけど、とりあえずの参考くらいにはなるだろう。(それと「見せた」ということは「教えた」ということ。たまに見せてくれる常松先生の動きをよ〜く見て脳裏に焼き付け、それに近づくようにオレ達は練習してきた。言葉とか理屈も大切かもしれないけど、見て、感じて、真似するってのはもっと大切だと思う。)
長井くんはたぶん自主練は結構やってると思うけど、まだまだ通背の力の抜きどころ、入れどころがわかっていない感じ。あと脚の折り方(付け根、股)。圧腿、[足易]腿、架式をやらないと身に付かないかな?挿掌、挑掌はtuo歩、磨手は蛇形歩の行状でやったけど、これも慣れない動きでやり難そう。まぁ、だんだんに。
伸肩法。関口くんの前に伸ばす手の高さが低いところが気になったけど、高さというよりはどこまでも伸びる感がちょっと少ないところかな。福島くんはこのあたり、かなり良い。引き手(腕)と伸ばす手(腕)が連動して(肩の中で繋がって)引き手の短くなった分、前の手がどこまでも伸びるような感じがする。
五行掌。[才率]。関口くん良い感じの抜け具合。面子的にもう一人新人がいると受けた時の威力の質の差が長井くんにもよくわかっただろうけど、今回できる面子ばかりだったので、質よりは威力の大小くらいしかわからなかったかな?まぁ威力もそれほどは差のない面子だったけど。拍はみなまぁまぁ。鑽は威力や質がみなマチマチ。腰力、後ろ脚、ピンポイント、突き刺す!あたりがキーワードかな?オレは右小指を突き指(子供らとのマジドッヂボール)してて握りこめなかったので変形尖拳で。最後に探背。左右五発ずつだけど、みんな威力があるから、4人分受けるのはキツイ。心臓狙ってるせいかもしれないかな?
小休止して、今日の面子なら、結構激しめの対練、散手、イケるかなと思ってたけど、休み時間中の話の流れで棍に(^^;。劉老師伝通背棍グルグル基本功(含む左右持ち替え)から。棍を力任せに操ろうとしたらダメ。特にブツが太くて重いとそのやり方じゃ無理。きっかけはこちらで作るけど、後は棍の動きに合わせる感じ。打つ時は棍自体の重さと合理的な動きから導き出される力を使って打つ!棍自体の重さも物理的に言ったら、密度とか変わるハズがないから変わりようもないんだけど、操作によって棍の中身が先端や末端に「ドーンっ」と移動して、時には重く、時には軽くなるように操る。その後棍の対練を2種。武器(兵器)はうちでは指を狙っていくものが多い。その理由は二つ。相手の指は自分から一番打ちやすい近いところにある。指を破壊(痛める)すれば相手は武器が持てなくなり、著しく戦闘能力が落ちる。自分から一番近くて打ちやすい所(さらに鍛えにくい)で、しかも痛めれば戦闘能力が落ちる。通背、秘宗はここを狙っていきます。他門派もそうなのかな?
参加者 片山、長井、福島、関口
雨が続いていたので、高架下かなと思ってたけど、晴れてきたので浜川で。
晴れてきたとは言え、下の芝生はぬかっているので練習はしづらい。足場の悪い所で練習するのも少しは意味があるかもしれない。でも、浜川公園でやろうと思った一番の理由はここには今の時期良い「気」が満ちているからだ。しかし「気」というものはなかなかに難しい。定義自体が人によって違うし、第三者にそれを示したりすることが容易ではない。しかし、武術を長年やってきた自分の中ではあきらかにいろいろな場面で「気」は存在すると感じる。この時期の浜川公園には良い「気」が確かに存在する。それが何にどう影響があるのか(もしくはないのか)はよくはわからないけれど、気持ちよく練習できることは確かだ。それだけでもここで練習する意味はある。
いつも通り基本功から。オレの先生(常松)の指導方法は基本的に「やらせて、見る」。最初に手本は見せるけど、一緒にやり続けることはまずない。でも、オレは基本的には一緒に同じだけやる。まだ自分が修行の中にあるってことも理由だけど、みんなにオレの動きを見て真似てもらいたいから。最高のお手本ではないだろうけど、とりあえずの参考くらいにはなるだろう。(それと「見せた」ということは「教えた」ということ。たまに見せてくれる常松先生の動きをよ〜く見て脳裏に焼き付け、それに近づくようにオレ達は練習してきた。言葉とか理屈も大切かもしれないけど、見て、感じて、真似するってのはもっと大切だと思う。)
長井くんはたぶん自主練は結構やってると思うけど、まだまだ通背の力の抜きどころ、入れどころがわかっていない感じ。あと脚の折り方(付け根、股)。圧腿、[足易]腿、架式をやらないと身に付かないかな?挿掌、挑掌はtuo歩、磨手は蛇形歩の行状でやったけど、これも慣れない動きでやり難そう。まぁ、だんだんに。
伸肩法。関口くんの前に伸ばす手の高さが低いところが気になったけど、高さというよりはどこまでも伸びる感がちょっと少ないところかな。福島くんはこのあたり、かなり良い。引き手(腕)と伸ばす手(腕)が連動して(肩の中で繋がって)引き手の短くなった分、前の手がどこまでも伸びるような感じがする。
五行掌。[才率]。関口くん良い感じの抜け具合。面子的にもう一人新人がいると受けた時の威力の質の差が長井くんにもよくわかっただろうけど、今回できる面子ばかりだったので、質よりは威力の大小くらいしかわからなかったかな?まぁ威力もそれほどは差のない面子だったけど。拍はみなまぁまぁ。鑽は威力や質がみなマチマチ。腰力、後ろ脚、ピンポイント、突き刺す!あたりがキーワードかな?オレは右小指を突き指(子供らとのマジドッヂボール)してて握りこめなかったので変形尖拳で。最後に探背。左右五発ずつだけど、みんな威力があるから、4人分受けるのはキツイ。心臓狙ってるせいかもしれないかな?
小休止して、今日の面子なら、結構激しめの対練、散手、イケるかなと思ってたけど、休み時間中の話の流れで棍に(^^;。劉老師伝通背棍グルグル基本功(含む左右持ち替え)から。棍を力任せに操ろうとしたらダメ。特にブツが太くて重いとそのやり方じゃ無理。きっかけはこちらで作るけど、後は棍の動きに合わせる感じ。打つ時は棍自体の重さと合理的な動きから導き出される力を使って打つ!棍自体の重さも物理的に言ったら、密度とか変わるハズがないから変わりようもないんだけど、操作によって棍の中身が先端や末端に「ドーンっ」と移動して、時には重く、時には軽くなるように操る。その後棍の対練を2種。武器(兵器)はうちでは指を狙っていくものが多い。その理由は二つ。相手の指は自分から一番打ちやすい近いところにある。指を破壊(痛める)すれば相手は武器が持てなくなり、著しく戦闘能力が落ちる。自分から一番近くて打ちやすい所(さらに鍛えにくい)で、しかも痛めれば戦闘能力が落ちる。通背、秘宗はここを狙っていきます。他門派もそうなのかな?